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●目的地
日石寺
http://www.town.kamiichi.toyama.jp/HP/spot/spot02.html
穴の谷の霊場
http://www.town.kamiichi.toyama.jp/hp/spot/spot03.html
雄山神社 中宮祈願殿&前立社壇
http://www.oyamajinja.org/
立山博物館&まんだら遊苑
http://www.pref.toyama.jp/branches/3043/home.htm
(…あと、糸魚川の寺地遺跡も)
「太古の息吹 現代に 縄文土器テーマに写真展」
詳しくは最後に引用したのでそちらを参照していただきたい。
縄文土器 土偶の美しさやパワーは、言わずもがな。
しかし、それを感覚的に捉えて写真などにメディア化する試みはどれほど行われてきただろうか。
われわれがよく目にする、また目にしてきた縄文土器の写真は、土器の形状 図像を正確に伝える「記録」としての役割の元、土器の全体像が見渡せるように撮影されたものである。
つまり、このような写真だ。
(画像引用サイトhttp://www.mahoron.fks.ed.jp/tenji/02_shitei_2.htm)
確かに「記録」という目的ならば、この撮影には一向の問題もない。
しかし、土器土偶の真の「力」や「美しさ」を放つ写真にするためには、もっと「わたくし的」に撮影することが大切である。…と私は思う。
同じ光のものとで、同じ角度から画一的に撮影するという行為は、まさに近代合理的な感覚である。
しかし、そもそも縄文土器の魅力、エネルギーや美的意図が込められた箇所は土器によって違うはずである。
縄文土器が作られた当時の人々は、世界すべてが同じ密度で広がりを持つような近代的感覚ではなく、もっと微細なレベルの感覚を持って、不均質な世界観を捉えていたはずである。
そのような土器ひとつひとつ質感の違いを、撮影する者が解釈して、さまざまな撮影を試みることこそが、本来の縄文土器の魅力を伝えるには重要なのだ。
そして、その作業こそ縄文時代そのものを知ることの、ひとつの立派な方法ではないだろうか。
縄文時代の出土品に科学的な検査を行うこと、また遺跡の規模から当時の状況を推測するだけが「考古」ではないはずである。
縄文人も現代人も同じ「人」である以上、自分の中にある古代的感覚を研ぎ澄ますことで、今までわからなかった縄文人の姿がわかってくると、私は思う。
冒頭でも紹介した縄文土器写真展はまさに、この縄文的感覚への回帰を試みた最も新しく画期的技法を用いたものである。
私自身も、この夏に長野県に研究視察に行った際、尖石縄文考古館でこの写真展示を拝見させてもらったが、素晴らしいものだった。
土器写真に加え、写真の周りに詩的なメッセージや、様々な人物の引用文が書かれたパネルが貼られており、鑑賞中は縄文図像の世界へ自分が飛翔しているような感覚さえ覚えた。
その土器ひとつひとつの異質なエネルギーが漂うような展示である。
▲展示フライヤーhttp://www.yokagura.com/site/Gal/pr/ichikawa/index.htm
All Photographs and Calligraphs : Masato SHIGEZAWA : All Rights Reserved (C) 1994-2008
他にも縄文土器をクローズアップした写真作家は何人かいると思うが、個人的にはその地平を開いたのは1959年に『日本の土偶』という本を発行した3人( 序文:瀧口修造 解説:野口義麿 写真:田枝幹宏)ではないかと思う。
この本に関する詳しい出自はわからないが、全編モノクロ写真でダイナミックに縄文土偶そ撮影した、その思い切りのいい写真は、素晴らしいというより先に、「なんだこれは?こんなものが日本にあるのか!?」という衝撃を与える。
この本との出会いがなかったら、私は縄文の世界へ関わることがなかったのではないかという、運命的な一冊である。
…さて、気付いたら縄文土器写真についていろいろ知ったかぶったようなことを書き連ねてしまい。お恥ずかしいかぎりだが、最後に写真展の記事を掲載しておこう。
中日新聞のweb版2008年11月20日の記事である。
写真作家の滋沢雅人氏の近影が掲載されているが、こんなにスゴイ風貌の方だとは思わなかった。
このまま、映画かなんかに出てきそうではないか。
いやぁ御見それしました。
太古の息吹 現代に 縄文土器テーマに写真展
南砺市井波地域(旧井波町)出身の写真家滋沢雅人さん(50)=東京都=の個展「縄文の夜神楽(よかぐら)」が、同市高瀬の井波歴史民俗資料館などで開かれている。縄文土器を題材に、太古の日本人の心に迫った五十点余が並ぶ。十一月三十日まで。 (河郷丈史)
滋沢さんは日本人の心に眠る太古の夜祭りの精神を探ろうと、全国十四カ所の博物館を七年かけて回って主に縄文中期の土器を撮影。「電灯のない当時は炎を明かりに使っていた」とゆらめく明かりを照明機材で再現し、カメラに収めた。
こうすることによって精緻(せいち)な土器の細工に深みのある陰影が生まれ、これまで気付かなかった独特の造形美が浮かび上がった。妖怪を思わせる恐ろしい顔に見えたり、大地を踏みしめて舞う人の姿に見えたり。恐ろしくも神々しい雰囲気が、大自然とともに生きた縄文人のたくましい精神を伝えている。
滋沢さんは「苦しんでいる現代の人たちに、縄文の息吹を感じて元気になってほしい」と話している。
入館料は二百十円(高校生以下無料)。月曜、祝日の翌日は休館。十月三十一日午後七時半から富山考古学会長の小島俊彰さんの特別講演がある。
問い合わせは、井波歴史民俗資料館=電話0763(82)5050=へ。
▲縄文の精神に迫った作品と滋沢さん=南砺市のあずまだち高瀬で
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http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20081020/CK2008102002000185.html
「アイヌ」いう言葉は「神」に対しての「人間」という意味。
アイヌイタク「アイヌ語」は直訳すると「人間の言葉」という意味。
つまり、神以外の人間が用いる言語はすべてアイヌイタク「アイヌ語」である。
アイヌ民族が使う言語のことを区別する際、彼らはア(ン)コロイタク「われわれの言葉」と呼ぶ。
「アイヌ」とは「人間」をあらわすが、「アイヌ」と呼ばれるには相応の人格が必要である。
アイヌコロ「アイヌをもつ」=「尊敬する」
アコロアイヌ「私たちのアイヌ」=「父親」
アイヌ語はかつて北海道、千島列島、東北地方北部の広い地域で用いられていた(※東北縄文人の言語につながる?)
アイヌ語と和人(日本)語は共通点がいくつかある、特に宗教・信仰関連の言葉にそれは顕著である。
カムイ=カミ「神」
タマ=タマ「魂」
オンカミ=オガミ「拝み」
タクサ=タクサ「手草」
しかし、言語学的にアイヌ語と和人(日本)語の関係性はわかっていない。関係ないとも、借用とも、同系とも厳密な判断は難しい。
文字を持たないアイヌ民族は、伝えられた言葉を忘れないように正確に記憶しようとする。
そのため彼らは記憶力に優れ博識である。(※文字を持たない=文化レベルが低い。というのは間違いである。)
出典:アイヌ民族博物館監修 『アイヌ文化の基礎知識』 1993年 草風館
(※)内は自分の思い付き発言
そんなわけで履歴書やら書類作りをしている。
ちなみにもう24時間以上何も食べてない。
食事をするのが面倒くさいのとあいまって、断食をはじめちゃったのだ。
僕は燃費が悪い上に痩せているから、食事なんか抜いたら即死亡するんじゃないかと思っていたが…。(過去に山篭りで空腹に悩まされた)
以外や以外、平気なのである。
むしろ精神が穏やかで、体も軽くなったような気がする…。
これが噂の断食ハイってやつかしら?
ちょうどいいので、もう少し続けてみよう。
空腹を感じても「浄化されていく体が歓喜の声をあげている」ってことにしている。
少し前に立ち読みした断食本の受け売りだ。
そういえば、ちょっと前に見たアニメでも「空腹と腹ペコは違う。己の空(くう)を知れ!」みたいな台詞があった。
最後に、履歴書の趣味の欄に書いた内容を一部修正して転載する。
一応ちゃんと(?)やってますってことで。
趣味・特技
「EdgeCulture:縁なる文化」とは私の造語である。
それはもはや「Subculture:サブカルチャー」でさえない、社会の周縁に追いやられた文化を指す。
私の趣味はエッジカルチャーの探求である。
VHSビデオ、レコード、CD、本、ゲーム、etc…。掃き捨てられるようにセールのワゴンへ辿り着いた、それらは私達の社会システムが潜在的に産み落としたアカだといえる。
しかし、だからこそ学ぶべきことは多い。
それらは「鋭い刃:Edge」の切先を主流文化へ向けたために、「縁:Edge」に追いやられた文化なのだ。
私の研究する縄文精神文化と深い関わりを持つシャーマニズムもまた、近代社会の体制からは周縁に追いやられている。
しかし「縁」から世界を見渡すことで、現在の主流な体制・文化もまた相対的な存在のひとつであり、それが絶対ではないことがわかってくるのだ。
ちなみに最近、エッジカルチャー探求の一環として別サイトもひっそりと運営している。
まだまだコンテンツ不足だが。
こっちのなかの自分はスピリチュアルとは全く違う自分であるので、てきとーに別人とでも思っていただきたい。
『中古ビデオ再処理施設』
http://usedvideo.blog.shinobi.jp/
しかし、こんな時間になってから本調子なのも少し考え物だ。
明日は朝から膝の件で医者へ行くので早く寝なければならないのだが…。
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