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日本人はるかな旅 第1集 マンモスハンター、シベリアからの旅立ち より
::DNAによるルーツの解明::
縄文人は氷河期に渡来した人々の末裔。
佐賀医科大学によって縄文人の歯からDNA採取(DNAは人それぞれ固有の分子構造をもち、代々継承されてゆく。祖先特定の手段)
採取された29体の縄文人のDNAを、国立遺伝学研究所のDNAデータバンク・132民族500万件と照合させた。
照合の結果、29体のうち 韓国、台湾、タイにそれぞれ1体づつ適合した縄文人がいた。
なかでもロシア連邦シベリアの少数民族ブリヤート人と適合したのは17体も存在した。
これまでは南方系と思われていた縄文人の祖先は、実は北方ブリヤート人にあったのではないか。
::ブリヤート人の遺跡::
ブリヤート人の住む地は人類が定住する地域としては世界最極寒の地。
DNA提供をしたのはバイカル湖畔 マクソホン村の遊牧生活を営んできたブリヤート人達。
マクソホン村で2万3000年前(氷河期)の遺跡 マリタ遺跡が1928年に発掘された。
そこから石を鋭く砕いたシベリア特有の石器 楔形石核(くさびがたせっかく)が出土
イルクーツク大学(考古学)G.ヘドベージェフ教授
すると、これまでシベリアだけのものと思われていた楔形石核が、日本の北海道(北海道嶋木遺跡)でも見つかる。
世界の石器を比較研究をしてきた札幌大学(考古学)木村英明教授 はシベリアこそ日本人のルーツと考える。
::ブリヤート人がシベリアに住み着いた理由::
アフリカに誕生したホモサピエンスは10万年前に移動開始。
住みやすい温暖な土地へ移動していった人々のなか、極寒の地シベリアを目指した人々もいた。
彼らの狙いはマンモスを狩ること。
氷河期は凍て付いた時代だったが、2万3000年前(氷河期)のマリタ遺跡周辺は短い夏の間は温暖で100種以上の動物が生息していた。
巨大なマンモスを狩るために、動物の骨で作った槍の先に、細く鋭い石の破片(細石刃:さいせきじん)を刃として埋め込んだ狩猟器具を開発。
細石刃を使った槍は強力で、マンモスの厚い皮と肉貫通し、時に骨をも貫いた。
::シベリアから日本へ::
しかし2万3000年前以降、マリタ遺跡周辺から人々の痕跡が消える。
その後の時代に、日本近くサハリンのオヴォンキ遺跡で細石刃が見つかった。
どうやらシベリアのマリタ遺跡周辺の人々が移動してきたらしい。
その理由は寒冷化にあった。
エニセイ川河口の土中に氷河期の時代から残るの氷を採取し、中の泡粒の酸素を測定すると、2万年前ごろに最寒冷期をむかえていたことがわかる。
寒冷化によって動物たちの生息地域が変化し、それを追って人々は移動していったのだ。
やがて、人々は日本列島にまで移動。
その証拠に北海道 柏台Ⅰ遺跡 からも細石刃が見つかる。
津軽海峡は深く、寒冷時に海面が低下しても陸続きにはならず海だったが、マイナス30℃で海が凍りついて足で移動できるようにり、本土にもシベリア渡来の人々が移住してきたのだった。
こうして寒冷化した2万年前をピークに何度も日本への移動が行われ、対馬海峡から移動してきた人々もいた。
当時の日本列島はナウマン像等の大型獣が多数生息しており、シベリアに似た環境で生活しやすかったようだ。
::温暖化による影響::
しかし、今度は温暖化によって大陸から分断された日本列島で新たな問題が発生する。
森林化が進み大型獣(ナウマン像、バイソン等)が激減。
自然界の主人公は、現在の野山で見られるようなシカやイノシシ、ウサギのような中型動物、小動物になった。
愛知教育大学(動物学) 河村善也教授
大型獣の絶滅は、当時の人々が大型動物を狩りつくしたことが原因であるらしい。
やがて狩猟道具は、強力な細石刃を用いた槍から、小さな石で作られた矢じりへ変わっていく。
動きのすばやい小動物を狩るためだ。
しかし小動物では食料としてのインパクトは足りなかった。
当時採取可能だった栄養価(カロリー)の高い植物はドングリだが、タンニン(渋み成分)が多く含まれていて生でも焼いても渋くて食べられない代物だった。
::食料確保のために活用された土器::
東京都新宿 都営住宅建替えがきっかけで発掘された 百人町三丁目遺跡。
ここから1万2000年前(日本最古?)の土器が発掘される。
この土器を使いドングリを煮ることで、渋きを抜き新たなる食料を確保できたのだ。
なんと縄文人はエジプト、メソポタミアの人々よりも数千年も早く土器を使い始めたである。
そもそも土器制作技術のルーツはどこか。
それは1万3000年前 シベリアのアムール川流域 ガーシャ遺跡から出土した世界最古の土器(魚の油貯蔵) ではないかと思われる。
土器の観点からも縄文人のルーツがシベリアにあったことをうかがわせる。
しかし、ガーシャ遺跡と新宿の遺跡とでは形状に違いがあった。
ガーシャ遺跡の土器は厚みがあり、底平らま樽型の形状である。
一方、新宿の土器は厚さ5mmの薄いもので、底が丸く釣鐘を逆さにしたような形状である
ガーシャ遺跡の土器は貯蔵に特化した土器であるようだ。
それに対し、新宿の土器は形状からも煮炊きに向いており、特に厚みが薄いことは煮炊きの熱効率が良いことをあらわしている。
シベリアから渡来した人々は、日本の環境に合わせて土器を改良していったようだ。
このような薄い土器を作ることは技術的にはかなりのハイレベルで、現代人にも作成することは困難である。
当時の人々は原料の粘土に鹿、猪の毛を混ぜて繋ぎにして割れにくくなるよう工夫していた。
その後、土器が列島に広まり1万2000年以上続く縄文時代に至る。
『NHKスペシャル 日本人 はるかな旅 第1集 マンモスハンター シベリアからの旅立ち』 よりメモ
※自論メモ
ブリヤート人はシャーマニズム関連の書籍で必ずといっていいほど登場するシャーマン文化を持つ民族である。
縄文人のルーツである以上、彼らの文化、宇宙観は縄文人の精神文化を探る上で重要なヒントになるはずだ。
おなじくDNA分析から、縄文人に通ずると言われるアイヌ民族との文化比較によって新たなる縄文像が浮かび上がっていくはずである。
面白くなりそうだ。研究への意欲もより一層湧いてきた。
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