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ミドリカワ書房の歌は、自分の気持ちやメッセージをダイレクトに曲にしたのではなく、舞台や登場人物の設定を細かく作ってお話として曲にする自称シンガーソングルポライターらしい(文学的楽曲という点ではさだまさし的である)。
聴いてみると、なかなかどうしてメロディーや詞が印象的で、スピーカーから切ないやら悲しいや楽しいやら、いろんな感情が流れ込んできたようだった。
まぁ僕自身、最近イロイロな変化が心身共にあったので、それが流れ込んできた感情と共鳴したのか、不思議とおセンチな気分になってしまった。
なんだかもう、それはそれはおセンチで、あぁもう一曲自分も作ってしまおうかと思えるような気持ちなのである。
しかし、今は快活な自分でありたい僕としては、アンチおセンチという方針を選択することにした。
そう、こんな時はレイキの力でマインドをシフトしよう。
リラックス効果のある額(H1)と深い安らぎを得られる後頭部(H3)、そして自己表現、自信、喜び、自己尊重の首(H4)の三カ所を重点的にヒーリング。
布団の中でやっていたので、気づいたら寝ていたが、起きたらスッキリ気分転換されていた。
しかし、寝ていた際見た夢で、ちょうどおセンチな気分の元になった実在の人物達が登場したのでかなりまいってしまった。
まぁ、昨日の感情や記憶を、レム睡眠時に脳が処理していたのだろう。
しかし、僕はなんとなく「レイキで深い心情を忘却することはできない、自分自身で向き合い克服ことが大切だ」というメッセージなのかも知れないと思った。
うむ、願望実現においてスピリチュアルに頼り過ぎてはいけないのだ。
浅いレベルでスピリチュアルに頼ってばかりでは、自分で努力することを放棄することに繋がる、自己成長を妨げてしまうのである。
よし!自分と向き合って快活になろうではないか。
自分と向き合うことは簡単なようで難しい。時間をかけてコツコツと自己成長していきたいものである。
その後も、一日を通して欲求不満は解消されていた。
うーん、やっぱりレイキはスゴイ。
一昨日は衝動的な欲求が発生して、どーしようもないなことになっていたが、
対して昨日はそういうことが全くなく、とても穏やかな心持の一日であった。
肉体的な疾患だけでなく、マインドに働きかけるレイキの効果は絶大のようだ。
うむ、今日もレイキで欲求解消と精進に努めよう。
レイキの力に感謝!
チャクラでいうと性腺のあたりの「根または基底のチャクラ」のエネルギーが異常に活性化されているのではなかろうか。
とにかく、冷静さを保つ為にもこのエネルギーの不調和を改善しようとレイキによる治癒を試みる。
基底のチャクラに手を当ててエネルギーが安定するようにイメージし、アファメーションを唱える。
布団の中で行っていたので、気づいたら寝て朝になっていた。
レイキのおかげか、モヤモヤした気持ちもなく爽やかな目覚めだった。
本能的欲求に対して、スピリチュアルな対処がどれほど有効なのかと少し疑問に思っていたが、認識を改めなければならないだろう。
レイキの力は偉大である。
大いなる力の恩恵に、今日も感謝。
現在、引越し先にインターネット回線が繋がっていないのでこのブログの更新にはイロイロ苦労している。
大学の部室にあるパソコンを借りたり、携帯電話で更新したりしているが、どちらもゆったりと文章を書く余裕をもてないのが正直なところである。
やはり、こうした日記的なものは手軽さが重要であると思う。
特にスピリチュアルな行為には結構、心の余裕が必要なのだ(と個人的に思う)。
精神面で余裕を持つことによって、普段の物質的な世界だけでなく非物質的な世界への意識を向けることができるのだ。
現代のスピリチュアリティは、必ずしも自然一辺倒ではなりたたないのかもしれない。
時に先端テクノロジーの恩恵を被る必要もあるのである。
というわけで、明日は「光」の契約でもしに行こうかしら。
よく「あくびがうつる」と言うが、この現象は科学的に解明されているのだろうか?
僕の記憶が確かなら、あくびとは呼吸数が減って酸素欠乏状態にある脳へ、一時的に酸素を大量に送り込む為に行う一種の生理現象だったと思う。
つまり、酸素欠乏=眠たくなった状態を改善しようとしている運動なのである。
退屈だと、人間は呼吸数が段々と減ってくる。
おそらく、複数の人間が退屈なひと時を共有することによって、自然とあくびをしやすい環境を作り出しているのかもしれない。
そして偶然、あくびが複数名の間で時間的に近接して発生することによって、まるで「あくびがうつる」ように感じているのではないか?
まぁ、少なくとも今まではこのような持論をひねり出して、理論づけを行ってきたわけだ。
しかし今日、仕事場で社員の方と2人でいる時に、まったく同じタイミングであくびをした瞬間に、フトひらめいた。
「あくびがうつる」ってオーラ同士が干渉しあうことで起きてるんじゃないのか?
オーラとはその時々の状態によって変化して、時に他人に影響を及ぼしたりもするらしいのだ。
例えば、病院に行って帰ってくると普段よりも疲れたような気分になる人がいるかもしれない。
スピリチュアルな業界ではこのような現象の原因を、病気の人が無意識に他人のオーラからエネルギーを吸収したり、ネガティブなエネルギーを発して周囲に影響を及ぼしたりしているためと考えられているのだ(見方によっては病人に対する偏見のようですね)。
さて当然、精神面を色濃く反映したオーラは、眠いとか、ぼーっとした状態をも反映していると考えられる。
そんなオーラ同士が干渉しあい、あくびを同時多発的に誘発したとは考えられないだろうか?
もちろん、これは単なる思いつき発言である。
僕自身、思いついた瞬間は「まさかな・・・」とそんなにマジメに考えたりはしなかった。
しかしその後、またしても同じ社員の方とあくびが同時に出たので、ひょっとすると・・・と考えるようになったワケだ。
しかも、あくびをしたか、していないのかがわからないくらいのお互い小さなあくびだったのに、なんとなく相手があくびをしたのが直感でわかったのだ。
そもそもすべてが偶然。という可能性もあるが、ずっと退屈していたわけではないので、2人のあくびのタイミングが2度も完全に一致するなんてナカナカ偶然で起こりえないと思う。
しかし、これ以上は憶測の域を出ないだろう。
まぁこのことは、今後詳しいことがわかったらまた書こうと思う。
今日は、なんだか周囲の空間の質感がいつもと違う感じがした。
何が違うのかは明確には言い表せない。
ただ、何かが明らかにいつもと違う。
なんとなく、周囲の空間全体に暗いものが覆っているようなイメージなのだ。
あまりに雰囲気が違うので、バイト先に行っても知らない場所のような気がして落ち着かなかった。
いったい原因は何なのだろう。
「場」そのものに何かいつもと違う要素があったのか、
あるいは「自分の感覚」が変化していたのか。
そういえば今日は新しい住まいから初めて出勤した日だった。
いつもと違うコトといったらそのくらいだろう。
オーラの観点から考えると、人間は普段生活している場所に個人のオーラが残留するらしい。
だから、自分の部屋には自分のオーラが残留しているので落ち着くというわけだが、
引越し先の家に泊まったのはこれがはじめてである。
ひょとすると、残留オーラがないために落ち着かず、睡眠中の心のリセットがうまくいかずに、前日の感情や肉体のエネルギーの余波が残ってしまったのではないだろうか?
そして、その余波によって、普段よりも感覚が鈍ったようになり、周りが暗いような気がしたと考えられないだろうか?
そういえば今思うと、昨夜は眠りが浅くて何度も目が覚めたりしていた。
前夜に飲み会があって久々に酒を呑んだために眠りが浅いと思っていたのだが、ひょっとすると自分の残留オーラがなかったから落ち着かなかったのか。
しかも、敷布団がこれまた新しいものだったので、残留オーラのカケラもない。
なるほど、原因は残留オーラの欠乏だったわけだ。
しかし、よくよく考えてみれば前夜に飲酒してるし・・・単なる二日酔いなのかな・・・。
うーむ、謎は深まるばかりである。
そして、きっと明日起きた頃にはどーでもよくなってるのである。
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