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今回は、わが故郷 にいつ(旧新津市 現新潟市秋葉区)で行われるイベント
にいつハロウィン仮装まつり へ参加致します!
▲公式サイトへのバナー
もちろん仮装して参加!
すでにご存知の方いると思われますが、各イベントで人々を恐怖におとしいれてきた「アノ」格好で臨みます。
未見の方は是非、ご自身の目でご確認くださいませ。
明日は13:30から仮装コンテストに出場します。よろしければ応援に来てくださいね(詳細は公式サイトを参照のこと)。
ちなみに同居人のSedi-Aさんも出場します。
彼の扮装は、スターウォーズの某キャラクター+α。
このプラス「α」がかなりヤバイので必見です。
コンテストの後は、夕方が仮装パレード。夜は仮装パーティ。
イベントは21:00までやっております。
見るだけでも楽しいと思いますが、皆さんも是非仮装して参加してはいかがでしょうか?
え?今からじゃ間に合わない?
大丈夫!仮装ならなんでもアリらしいのです。
コスプレ、萌系、etc...オールジャンルOKの懐の広いイベントなんです。
彼女の高校の頃の制服とか借りて参加してみて☆
▲こちらも公式サイトへのリンク
昨日の記録で、スピリチュアルアイテムをケアするためのタオルハンカチを3枚買った書いたが。
そのうちの1枚がアメリカ在住のテキスタルデザイナーのものだったと判明!
Lotta Jansdotter(ロッタ・ヤンスドッター)というスウェーデン出身のテキスタイルデザイナーで、その作品は日本でも人気とのこと。わが国では「ロッタちゃん」の愛称で親しまれているらしい。
うーん、確かに素敵な色合いとパターンで一目惚れしたものだったが、まさかちゃんとした北欧デザインものだったとは…。
同じテキ分野のnagumoちゃんはロッタちゃん知ってるかな?
嬉しい反面、それがサ〇キで「格子ミニタオル」という良くわからない名前のラベルをつけられて¥49で売られていたのを考えると、作り手側にしてみたらなんだか複雑である。
しかし、価値あるものが敷居の高いショップでしか取り扱われない。…というのも変なので、多くの人に開かれた量販店でも、いいものに触れられるということは一応喜ぶべきことなのかもしれない。
まぁ、何にせよ自分の目に狂いはなかったということ…か?
ちなみに下にロッタちゃんのオフィシャルwebサイトを掲載しておいた。
ステキなサイトなので是非一度、ご覧あそばせ。
Lotta Jansdotter official website
http://jansdotter.com/index.php
今日は、某衣料品店で格安のタオルハンカチを3枚購入した。
スピリチュアルアイテムの下に敷くためのものだ。
私は自室の机のそばにアイテムをかためて置いておくサンクチュアリを作っているだが、最近いろいろと忙しくサンクチュアリが雑然としてきていた。
そこで、サンクチュアリ周囲に漂うエネルギーを更新するためにも、またアイテム達を敬う意味でも柔らかいタオルハンカチをつかうことにしたのである。
格安の売れ残りのようなタオルだが、そこに描かれた模様と色彩になんともいえない魅力を感じたので購入したのだった。
こういうアイテムをケアするためのサブ的なアイテムは、必ずしも高級品をでなくてもよい。というのが私の持論である。
第一に大切なのは、直感でいいと思えるか、ということだ。
自分がいいと思えるものならば、たとえ安物でも何かひきつけられる魅力を発しているということだ。
そのものに対する何らかの共感が生まれるのならば、それは万人にとってではなく、その人にとって素晴らしいスペシャルなアイテム、ということなのだろう。
端的に言えば、パワーストーンだって元は自然に転がっていたものである。
また、シャーマニズムではパワーを持つものを、自分の助力になるアイテムとして自然から拾ったりする。
それは貝殻であってり木の棒であったり。一見すると陳腐なものだが、当人のシャーマンにとっては重要なアイテムとなるのだ。
親しいヒーラーの方も、沢山のアイテムを持っていて、その方に以前質問したことがある。
「この素敵な天使の飾りはどこで購入されたんですか?」
「え、これですか?100均です(笑)。」
「えぇ!?意外ですね。もっと高価なものかと思いました。」
「ヤマザキさんも、そういうところで買ったりしないんですか?」
「実は、シャーマンのパワーバックに使っているウサギの毛皮、サ〇キのバックを改造したものなんです(笑)」
「なんだぁー、ヤマザキさんも人のこと言えないじゃないですか(笑)!」
…ただ、最後に注意していただきたいのが、重要なアイテムを買うときは安物はあまりお勧めできないということだ。
私の師の言葉だが、「安いには安いなりの理由がある。」ということ。
やなり大事なアイテムの場合は、信頼できる人物が太鼓判を押すようなものを選んだほうが無難だろう。
高価なものになるほど、人間はいろいろな思念に囚われて直観が鈍る危険がある。
お金という認識自体、近代的な資本主義の概念であり、お金前提で考えを進めていると、この物理的現実の世界を中心とした価値観に飲み込まれやすくなってしまうからだ。
しかし、そのような価値観もまた大切な経験のひとつ。
欲とかお金とかも、この地球生命圏での体験として割り切って、いろいろやって失敗してみるのもまた一興だろう。
そんなこと書いていて気づいたが、タオルハンカチのうちの一枚、刺繍ほつれちゃってるぞ…。
う~ん早速失敗したかも・・・。
(追記:しかし翌日、他のハンカチで嬉しい事実が判明したのだった・・・『翌日の記録』)
「太古の息吹 現代に 縄文土器テーマに写真展」
詳しくは最後に引用したのでそちらを参照していただきたい。
縄文土器 土偶の美しさやパワーは、言わずもがな。
しかし、それを感覚的に捉えて写真などにメディア化する試みはどれほど行われてきただろうか。
われわれがよく目にする、また目にしてきた縄文土器の写真は、土器の形状 図像を正確に伝える「記録」としての役割の元、土器の全体像が見渡せるように撮影されたものである。
つまり、このような写真だ。
(画像引用サイトhttp://www.mahoron.fks.ed.jp/tenji/02_shitei_2.htm)
確かに「記録」という目的ならば、この撮影には一向の問題もない。
しかし、土器土偶の真の「力」や「美しさ」を放つ写真にするためには、もっと「わたくし的」に撮影することが大切である。…と私は思う。
同じ光のものとで、同じ角度から画一的に撮影するという行為は、まさに近代合理的な感覚である。
しかし、そもそも縄文土器の魅力、エネルギーや美的意図が込められた箇所は土器によって違うはずである。
縄文土器が作られた当時の人々は、世界すべてが同じ密度で広がりを持つような近代的感覚ではなく、もっと微細なレベルの感覚を持って、不均質な世界観を捉えていたはずである。
そのような土器ひとつひとつ質感の違いを、撮影する者が解釈して、さまざまな撮影を試みることこそが、本来の縄文土器の魅力を伝えるには重要なのだ。
そして、その作業こそ縄文時代そのものを知ることの、ひとつの立派な方法ではないだろうか。
縄文時代の出土品に科学的な検査を行うこと、また遺跡の規模から当時の状況を推測するだけが「考古」ではないはずである。
縄文人も現代人も同じ「人」である以上、自分の中にある古代的感覚を研ぎ澄ますことで、今までわからなかった縄文人の姿がわかってくると、私は思う。
冒頭でも紹介した縄文土器写真展はまさに、この縄文的感覚への回帰を試みた最も新しく画期的技法を用いたものである。
私自身も、この夏に長野県に研究視察に行った際、尖石縄文考古館でこの写真展示を拝見させてもらったが、素晴らしいものだった。
土器写真に加え、写真の周りに詩的なメッセージや、様々な人物の引用文が書かれたパネルが貼られており、鑑賞中は縄文図像の世界へ自分が飛翔しているような感覚さえ覚えた。
その土器ひとつひとつの異質なエネルギーが漂うような展示である。
▲展示フライヤーhttp://www.yokagura.com/site/Gal/pr/ichikawa/index.htm
All Photographs and Calligraphs : Masato SHIGEZAWA : All Rights Reserved (C) 1994-2008
他にも縄文土器をクローズアップした写真作家は何人かいると思うが、個人的にはその地平を開いたのは1959年に『日本の土偶』という本を発行した3人( 序文:瀧口修造 解説:野口義麿 写真:田枝幹宏)ではないかと思う。
この本に関する詳しい出自はわからないが、全編モノクロ写真でダイナミックに縄文土偶そ撮影した、その思い切りのいい写真は、素晴らしいというより先に、「なんだこれは?こんなものが日本にあるのか!?」という衝撃を与える。
この本との出会いがなかったら、私は縄文の世界へ関わることがなかったのではないかという、運命的な一冊である。
…さて、気付いたら縄文土器写真についていろいろ知ったかぶったようなことを書き連ねてしまい。お恥ずかしいかぎりだが、最後に写真展の記事を掲載しておこう。
中日新聞のweb版2008年11月20日の記事である。
写真作家の滋沢雅人氏の近影が掲載されているが、こんなにスゴイ風貌の方だとは思わなかった。
このまま、映画かなんかに出てきそうではないか。
いやぁ御見それしました。
太古の息吹 現代に 縄文土器テーマに写真展
南砺市井波地域(旧井波町)出身の写真家滋沢雅人さん(50)=東京都=の個展「縄文の夜神楽(よかぐら)」が、同市高瀬の井波歴史民俗資料館などで開かれている。縄文土器を題材に、太古の日本人の心に迫った五十点余が並ぶ。十一月三十日まで。 (河郷丈史)
滋沢さんは日本人の心に眠る太古の夜祭りの精神を探ろうと、全国十四カ所の博物館を七年かけて回って主に縄文中期の土器を撮影。「電灯のない当時は炎を明かりに使っていた」とゆらめく明かりを照明機材で再現し、カメラに収めた。
こうすることによって精緻(せいち)な土器の細工に深みのある陰影が生まれ、これまで気付かなかった独特の造形美が浮かび上がった。妖怪を思わせる恐ろしい顔に見えたり、大地を踏みしめて舞う人の姿に見えたり。恐ろしくも神々しい雰囲気が、大自然とともに生きた縄文人のたくましい精神を伝えている。
滋沢さんは「苦しんでいる現代の人たちに、縄文の息吹を感じて元気になってほしい」と話している。
入館料は二百十円(高校生以下無料)。月曜、祝日の翌日は休館。十月三十一日午後七時半から富山考古学会長の小島俊彰さんの特別講演がある。
問い合わせは、井波歴史民俗資料館=電話0763(82)5050=へ。
▲縄文の精神に迫った作品と滋沢さん=南砺市のあずまだち高瀬で
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http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20081020/CK2008102002000185.html
▲クリックすると大ザイズで閲覧できます。
大学の都市計画まちづくりの先生の手伝いの関係で、なんと!あの荒俣宏先生の講演会のポスター&フライヤーをデザインするという願ってもないチャンスに恵まれました!!
時間の切迫する中、つたないながらもなんとか完成し、本日無事に入稿。
そこで講演会の情報を、当「スピリチュアル実践の記録」にていち早くネット上に公開!
皆様、ぜひお誘い合わせのうえご来場くださいませ。
ちなみにこの後援会は、町おこしの一環として、地元NPO団体が主催するもので、新潟県長岡市摂田屋にある有形登録文化財 「鏝絵(こてえ)の蔵」が、地震による破損から修復したことを記念して行うものです。
鏝絵(こてえ)とは漆喰を用いて、壁や戸袋に立体的な装飾を行うもので、左官道具の鏝(こて)を用いて作ることから鏝絵と呼ばれています。
摂田屋にある機那サフラン酒本舗の鏝絵が描かれた土蔵は、日本一の鏝絵蔵とも讃えられています。講演会と合わせて、是非拝見してはいかがでしょうか?
【開催情報】
●テーマ
機那サフラン酒本舗 鏝絵蔵修復記念
荒俣宏講演会「うわべを飾るアート 鏝絵」
●開催日
2008年11月23日(日)
14:30~開場
15:00~開演
●会場
ホテル ニューオータニ 長岡
NCホール
●参加費
無料
●申込方法
ハガキ・FAX・メールで「荒俣宏講演会希望」と明記の上、参加希望者の電話番号・郵便番号・住所・氏名・年齢を記入し下記宛にお申し込み下さい。
(当選された方にはハガキをお送りいたしますので、そちらをご持参の上ご来場下さい。)
●申込先
醸造の町 摂田屋町おこしの会
〒940-1105 長岡市摂田屋4-8-12
Tel:0258-35-3000
Fax:0258-36-1107
Mail:settaya@yosinogawa.co.jp
●共催
長岡市、長岡観光コンベンション協会、㈱ホクギン経済研究所、長岡造形大学
●後援
長岡商工会議所、新潟県まちなみネットワーク、新潟日報社、NHK新潟放送局、BSN新潟放送、NST新潟総合テレビ、TeNYテレビ新潟、UX新潟テレビ21、月刊マイスキップ、日本経済新聞社長岡支局、エヌ・シィ・ティ
夢 -時空を超える旅路- イメージの博物誌 3
最近はゼミで上記の本を参考に、師から「夢」についてレクチャーを受けている。
とかく耳にする近代の夢というものの解釈は「覚醒時に記憶した情報の整理」である。
しかし、それは間違いではないにしても、夢の本質ではない。…というのが上記の本の解釈であり、伝統的な世界観では夢に、宇宙的で根源的な意味を見出してきた。
直接的に言えば、夢によって人は別のリアリティの世界を体験しているのである。
夢は現実ではないという考え方は、一見すると常識的であるが「現実」というものが何か?と突き詰めていくと結局、われわれが覚醒時に体験している現実というのは、沢山の人の主観が、およそ同じようであるという合意のもとで仮定された世界にすぎないのである。
さらには「この世界(宇宙)は、根源的存在の夢から誕生した。」という神話もあるのだからおもしろい。
夢の世界は、シャーマン的リアリティの世界と同じく、怪しげで魅力的であると気づかされている。
…とまぁ、インテリチックなことが書きたかっただけだが、本題である以前体験した夢の内容を簡単に記録。
その日は入眠時に、意識をオープンにして情報をキャッチしようと試みていた。
すると、なんとなく地球外の存在と意識がつながったのだ。
この時の意識状態は、半分夢で半分覚醒といったところか。
その生命体の姿はなんとなく、やわらかい形をしていたような気がする。
君の住む惑星に連れて行ってほしい。とお願いする。
凍てついた氷の世界。青い豊かな深海。そのようなイメージが浮かんだ気がする。
(この特徴からして、木星の衛星エウロパかもしれない。)
惑星の名を尋ねると、彼らは「ラオンズ」と呼んでいるらしい。
この生命体がとても友好的な存在であるというのが雰囲気でわかった。
・・・以上が記憶している範囲のことである。
今夜は寝るときに、久々にラオンズを訪問しようと思う。
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