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最近の木曜はもっぱらシャーマニズム実践の守護霊の踊りを行っている。
しかし、今宵はいつもの踊り中心の実践ではない手法を試してみた。
先週、守護霊であるトンビと別れたので、気分を変える意味もあった。
今回は守護霊を体現し、守護霊になりきってひと時行動するのである。
自分の肉体を貸して、守護霊を放牧すると考えたらイメージしやすいかもしれない。
というわけで、もうひとつの守護霊のカエルになりきって、夜のグラウンドを少し徘徊した。
その後、守護霊を体に宿したままフラフラと歩きながら、今度は守護霊と対話を試みる。
以下は守護霊との対話で覚えていることをピックアップしたものである。
守護霊が何を言わんとしているかは右矢印(→)で意訳を添えた。
「慈悲の心をもつこと、心を開くことが大切」
→人間としての成長の機会を増やすことにつながる。
「感情的になりすぎてはいけない。」
→感情にとらわれると、多くのものを失う可能性がある。
「そこにあるものはなんなのか、と考えすぎてはいけない。」
→頭で考えすぎるとそのものの本質を見落とす危険がある
時に、考えるより感じることも大切である。
「お前はお前自身である。」
→守護霊は自分の一部であるが、真の自分は自分自身であってほかの誰でもない。
他の人や、守護霊に頼り過ぎず自分を信じ自分で考え行動すること
「私はいつもお前とともにある。お前はひとりではない。」
「それと、お前は最近我々の世界(精霊の住む他界)に来てない。だから今度来るといい。」
→この守護霊の発言には何か、いいものを見せてやるぞ。みたいなニュアンスを感じた。
ちなみに以上の守護霊の発言の順序は必ずしも正確ではない。
関連性のある発言は、わかりやすくひとつにまとめたりもした。
ほかにも守護霊が何かを言っていたような気もする。
思い出したら、また追記しよう。
今夜は守護霊のカエルに、心にしみる言葉をたくさんかけてもらった。
そのおかげで、より一層心が澄みわたってパワフルな気分になった。
最後には守護霊に深く感謝をささげよう。
カエルよ。本当にありがとう!
大地のエネルギーを直に感じ取りたいと思ったからだ。
長岡のアパート近くの小学校のグラウンドへ移動。
ここなら危険なものは落ちていないだろうし、安心して裸足で踊れる。
開始前に、足で土の上に大きな円を描いた。
結界というか、踊るスペースを他所と隔てたのだ。
守護霊の踊りは非日常的行為であるので、日常的世界から隔離したほうが良さそうだとフト思ったのである。
この結界が功をそうしたのか、周囲に小さな光が何度か出現したのを目撃した。
最初は土の中のガラス質が街灯に反射したものかと思ったが。
次に少し離れた道路の空中でキラッと光った。
何かが車のライトに反射したのだろうか。とも思った。
しかし、いよいよ空でもキラッとした光を目撃し、おや?ヘンだな。と気がついた。
その時、夜空には星こそ輝いていたものの飛行機などは一切飛んでいなかった。
その光は、とても小さく強いもので星と間違えるようなものではないのだ。
ひょっとすると、周りに現れた守護霊の精霊が光として認識されたのかも知れてない。
AIBOの開発責任者でもあるソニーの天外伺朗氏は、アメリカインディアンの儀式に参加して祖霊が光の玉として姿を現したのを目撃したという話もある(※)。
光の目撃でいやおうなくテンションの上がった僕は、夢中で守護霊に踊りを捧げた。
やはり裸足のせいか、かなり自然体で踊れている。
また新月とあってか、月のエネルギーにとらわれず、普段以上に大地のエネルギーや星々のエネルギーを感じている気もする。
さて十分に踊りを捧げると、次は動物の踊りに移る。
守護霊のトビを呼び出そうとする。
しかし、なんだか今日はしっくりこない。
自然にトビのイマジネーションが浮かばないのだ。
実は先日、田んぼでサギを見かけた時に、なんとなく守護霊のトビのことが思い浮かんだ。
トビが僕の守護霊から抜けるような気がしたのだ。
シャーマンは常に同じ守護霊を持っているわけではないと本で読んだ気がする。
ひょっとすると、これは守護霊の交代時期に差し掛かっていることを意味するのだろうか。
トビがうまく降りてこないので、とりあえず体のうごくまま踊り始めた。
今までこんなことはなかったので、正直どうしたらいいかわからなかったのである。
なんとなく、ほかの動物が出てこないかイメージを巡らせてみる。
動物のイメージが浮かんでは消えていく。
どうも確信が持てない。
そうしてるうちに、手に持っている儀式用のガラガラ(マラカスのようなもの)が邪魔な気がしたので地面に置いた。
すると、自然に両手を地面についてカエルのポーズになった。
カエルも僕の守護霊のひとつである。
とりあえず、ここはカエルに任せることにした。
カエルを体になじませ、カエルに成りきる。
カエルの踊りを踊りながら、トビはもう守護霊ではないのか、新たな守護霊が必要なのか、と考えた。
すると、体が激しく反応してカエル(である自分)が勢いよく飛び跳ねた。
これは「YES」ということのようだ。
なるほど、ならばトビに代わる新たな動物を獲得する必要があるかもしれない。
カエルの踊りを終えると、最後にトビへの感謝の踊りを捧げた。
約一年間、トビの精霊に見守れ、助けられたこと心から感謝した。
自分を明け渡すようにとにかく、とにかく踊った。
思えば昨年度の卒業研究を無事に発表できたのはトビのおかげだった。
さまざまな面で彼らに助けられたことを思い出す。
卒業研究展では大学、新潟市、横浜の三箇所で合計10日にもおよぶ間、来場者一人ひとりにパフォーマンスをかねた卒業研究の発表を行えたのもトビやカエルの精霊たちが見守っていてくれたからだった。
すべての発表を終えて長岡に戻った朝、発表に使った丸太を大学の裏庭に安置した時のことである。
「やっと終わった」とその場を後にした瞬間、頭上3mほどのところをトビが飛んでいったのだ。
「おつかれさん、よくやったな」とでも言われたような気がして涙があふれてきたのを今でも鮮明に覚えている。
トビよありがとう。
今の僕があるのも君のおかげだ。
遠くの闇夜から、トビが最後にこちらを見ていたような気がした。
※参考文献
飛鳥新社 (2003/10)
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昨夜(2007/10/03)のシャーマニズム実践
とても眠かったので実践を見送ろうとも思ったが、頭のスイッチを切り替えてヤル気を奮い起こした。
やはり週に一度は守護霊(パワーアニマル)に踊りを捧げなければならない。
守護霊から様々な「力」を借りている以上、守護霊側にも利益がなければギブアンドテイクの関係は成り立たないのだ。
「力」として意識していなくても、我々は普段から気付かないところで守護霊に助けられている。
さて、新津の実家から歩いてすぐ、先週と同じ建機のある空き地で実践を行った。
まず守護霊に踊りを捧げる。
次に守護霊のトビと一体化して動物の踊りをはじめる。
近くの道を車が何度か通ったため集中をそがれてしまう。
そのうち、なんとなく守護霊との一体感がなくなってきたような気がした。
おそらく他人の目を恐れ、踊りをしている自分を意識しすぎてしまっている。
これはイカンと、自分をあけ渡すつもりで踊る。
「自分が踊っている」のではなく、「自分が踊りそのものになる」ことをイメージする。
そうしているうちに、やがて守護霊との一体感が戻ってきた。
ハイに達しているのがわかる。
私は私であって同時にトビでもある感覚。
本当に充実したひと時だった。
・・・外で行う踊りの実践は、好き勝手に動き回れるのでかなりクセになる。
気候的に大丈夫なうちは、なるべく外で踊ろうと思う。
ただ、今度はあまり人目の気にならない場所にしてほうがいいかもしれない。
踊りに集中する為にも、
あと警察を呼ばれないようにする為にもだ。
この前の木曜日(2007/09/27)のシャーマニズム実践記録。
月が本当に明るい。
近所の建設重機が停めてある空き地に移動し、月光を浴びながら守護霊に踊りを奉げた。
うす雲が空を覆っているためか、月のまわりにうっすらとオーラのように光のモヤがある。
その美しさに、踊りのにも熱が入る。
満月に照らされながら重機の隣でシャーマニズムを実践する光景は、さながら前衛芸術のようだ。
やがて月の向こう側からやってきた(ように思えた)守護霊のトビと一体化を果たす。
月のエネルギーのためか守護霊も普段以上にエネルギッシュであると感じた。
時に濃密に、時に激しくトビを全身で体現する。
守護霊とともに過ごす際はいつは、俗なる時間が止まって聖なる時間が流れているような気分になってくる。
激しく踊りを行っても、けだるさや疲れは一切感じないのだ。
本当に爽快な気分である。
実践終了後、せっかくシュールな状況なのでイメージ写真を取った。
いい感じの写真が取れるまで夢中で撮影をつづけていたが、今日その写真を確認してみるとオーブが写っているものが何枚かあることを発見した。
もちろん、空気中の塵やホコリにストロボが乱反射しただけとも考えられる。
しかし、以前卒業研究の発表でシャーマンの踊りを行っているところを撮影した写真にも数多くのオーブ(らしきもの)が写っていたことを考えると、ひょっとすると本当に何か霊的なものが関係しているのかもしれない。
ホコリがどうか詳しく検証してみたい気もするが、すべてを現実世界の尺度で判断するのも無粋な気がする。
シャーマニズムが原因となっている可能性のある現象には、やはり一定の敬意を払うべきだろう。
▲偶然に撮影されたオーブらしき光(一部写真は拡大したもの)
明日は一日時間があるので、プレ山ごもりを行おうと思う。
まぁ、日帰りなのでハイキングに近いかもしれない。
最近入手した装備類のチェックや事前のトラブルシューティングが目的だ。
うまくいけばシャーマンの力の実践を補助してくれる。植物の精霊スピリットヘルパーを獲得したいと思う。
購入予定だった装備については
新たにトレッキング対応の靴下も二足購入した(重ね履き用で計¥2400!)
長靴はひとまず昔買った冬用の『コザッキー』を使ってみる。
予定としては朝早くから半日程、山林を歩き回って装備に問題はないかチェックしたいと思う。
場所は未定だが、長岡市の悠久山や東山近辺の山林あたりがひとまず妥当だろう。
詳細はまた後々に記録する。
室谷洞窟でのシャーマニズム実践において、久々に守護霊であるパワーアニマル達と再会した。
本来ならば、守護霊には定期的に踊りを捧げなければならない。
でなければ、守護霊の“力”を借りることができないからだ。
しかし、僕は長期間守護霊に踊りを捧げていなかった。
きっとそのせいで、すっかり守護霊に愛想を尽かされているのではないかとさえ考えていた。
しかし、室谷洞窟で再会した彼らは、こんな僕を許してくれていたようだった。
それ以来、僕は守護霊に踊りを捧げることを再開した。
最盛期だった頃のように、僕は週に一度、この踊りの実践をおこなっている。
今夜は室谷洞窟での再会から2週間目。
踊りも、先週と合わせて2回目となった。
近所の学校のグラウンドを借りさせていただいて実践開始。
まず、守護霊に踊りを捧げる。
そして次に、守護霊を自分の体に一体化させる。
僕の守護霊である鳶(トビ)を宿す。
守護霊とひとつになって夢中で踊った。
踊りを開始したとたんに遠くから鳥の鳴き声が聞こえだした。
どうやら踊りに気づいてくれたようだ。
守護霊(精霊)は、動物の種族の代表である。
だから守護霊(精霊)は、現実世界の鳶ともリンクしているのだ。
ひたすらに踊ることでハイになっていく。
精霊の存在、そして優しさを全身で感じる。
そのことが嬉しくて感謝の念が溢れてくる。
とても充実した時間だった。
さて、踊りを終えて帰ろうと歩き始めたときだった。
ふいに後ろからカエルの精霊がやってきたイメージが浮かんだ。
カエルも僕の守護霊のひとつである。
イメージの中ではカエルは子供くらいの大きさで、(厳密にはイメージの中なので正確な大きさではない)
ピョンと飛び跳ねると僕の背中に乗ってきた。
僕は思わずひざをついた。
なるほど、君も踊りたいのだな。
そう感じた僕はすぐにカエルの踊りを始めた。
人間がハイを求めるのと同じように、彼ら精霊は人間の体を借りて、この現実世界を楽しみたいのだ。
久々にカエルの踊りを実践した。
こうした踊りによって動物を体現することは“憑依”とは少し違うニュアンスである。
“憑依”とは術者自身の肉体を霊に支配される状況である。
それに対して、この踊りは動物と一体化する“変身”に近い行為だ。
その後、カエルの踊りを終え帰宅した。
今夜は星がとても美しい夜だ。
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